ゲームより難しいプログラムビデオゲーム(俗に言うテレビゲーム)は、58年に初めてその試作品がつくられました。僕が生まれたのが59年ですから、比較的新しい娯楽メディアと言えます。
70年代初頭に、ピンボールとかベルトコンベヤーみたいなドライブゲームが置いてあった、いわゆるゲーム場に、ピンポンかテニスのようなビデオゲームが登場します。今ではビデオゲームと言えば、コンピューターが使われていることが当たり前のようですが、このころはトランジスタなどパーツでつくられていました。まだまだ、工業製品の域を出なかった時代です。
それが70年代後半には、指の爪くらいのICにコンピューターの機能を詰め込んだマイクロコンピューター(マイコン)が生まれ、パソコンの草分けが発売されます。インベーダーこと『スペースインベーダーズ』が大流行し、ビデオゲームもすっかり一般に浸透しました。
80年代に入ると、ファミコンを代表とする家庭用ゲームが普及します。そしてビデオゲーム自体の作品性が問われるようになりました。
最近のビデオゲーム作りは、ゲーム全体を考え、脚本や監督を担当するゲームデザイン、コンピューターの中にゲームの世界をつくり出すプログラム、ゲームの見た目を作るグラフィック、雰囲気を盛り上げるサウンドの4つに分かれています。それぞれがなかなか大変な仕事なのですが、何と言っても主役はプログラマーで、仕事量や精神的肉体的な負担などが、群を抜いて大きくなっているのが実情です。
そのプログラマーを、僕もこの仕事を始めたころはやっていました(今でもたまにプログラムを書きますが)。それまでほとんどコンピューターについての知識がなかった僕は、先輩社員に一から教えてもらい、新たなことを覚えるたびに軽い知恵熱をもよおしながら、デビュー作を手がけたものです。
このころの生活は、自宅と会社の往復だけで1日中コンピューターに向かい、休み時間になると食事をするといった感じでした。頭を使っていると、体が活動していなくても不思議と余計におなかが空いてくるもので、毎日のように炭酸飲料とスナック菓子といった「おやつ」を食べていました。その効果はてきめんで、入社数ヶ月ののうちに体重が6−7キロも増えてしまい、体を動かすのがおっくうになるため運動量も減ってしまうという悪循環で、いかにも不健康でした。もともと体質的にアルコールには弱いくせに、週末ともなれば同僚と飲み歩いてしまい、貴重な休みを二日酔いでつぶしてしまうといった、典型的なサラリーマンプログラマーだったようです。
そんな中で、デビュー作を一緒に手がけたデザイナーの方が胃潰瘍で倒れ、胃を全摘出してしまったのに続き、恩師である先輩プログラマーが肝臓障害で亡くなってしまいました。僕はゲーム作りという作業が、予想外に内臓に負担をかけるものであることを知りました。コンピューター関係の会社の間では、よく「人柱」といって、大きなプロジェクトがあると内臓障害で亡くなる方が出るという怖い噂話が流れてきます。世間が思っているほど、楽な商売ではないようですね。
逆に、それほどでもないというものに、視力の問題があります。毎日モニターに向かっていると言うと、「目が悪くなりませんか?」と聞かれることが多いのですが、僕の周りに限って言えば、コンピューターのせいで視力が低下したという人は見当たりません。僕自身も、中学あたりから近眼に悩まされ、両親そして2人の妹も近眼だったため、遺伝的なものとあきらめていました。しかし大学を卒業して、この仕事を始めるようになってから少しずつ回復し、今では普段メガネをかける必要はなくなりました(まだ老眼には早いはずです)。
ともあれ自分で会社をやるようになって、先輩の亡くなった歳を越えていくにつれ、開発スタッフの健康管理についても、十分に気を配るようになりました。ストレスのかかりにくい環境をつくるために、就業時間をフレックスタイムや自由出勤にしたり、食事の時間を個人のペースに合わせて設定したり、残業しなければこなせないような仕事を与えないなどの注意をしています。また、まだ年齢的に必要なレベルまで達していない社員がほとんどですが、全員で1日人間ドックに入って、負担がかかっている部分の早期発見や、健康に対する意識の向上に努めています。
健康を維持するプログラムには、これだけやれば完璧というものは存在しませんから…。
1992/8/1発行 中央労働災害防止協会発行「労働衛生」8月通巻389号
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